2022年04月28日更新
小川の昔ばなし 苅萱橋(かるかやばし)
イラスト 村上明日香
あらすじ
父恋しさを募らせた石堂丸(いしどうまる)が母と旅を重ね、高野山(こうやさん)で父と再会した有名な説話があります。その父とは800年ほど前、九州6国の国守だった加藤左衛門尉繁氏(かとうさえのもんのじょうしげうじ)。
繁氏は世の無常を悟って高野山へ入り、苅萱道心(かるかやどうしん)と改名し修行していました。
それを知らない道心の母は、子の行方を探して往来の激しかった今の小川町に関所を設け、通行人の顔を確かめていました。やがて、筑前からの知らせで、高野山にいることが分かると、母はこの地を引き払い、帰っていったといいます。
この地の人たちは、母が小川に住み親しんだ記念として、関所を設けて架けた砂川の橋を、苅萱橋と呼ぶようになりました。そして、上苅萱や下苅萱という地名は今でも親しまれています。