2022年01月21日更新
豊野の昔ばなし 響ヶ原の戦い
イラスト 村上明日香
あらすじ
4百年ほど前の天正9年、島津義よしひさ久から阿蘇氏攻めを命じられた人吉の相良義陽は、12月1日、8千の軍勢を率いて八代から御船を目指しました。その日は娑婆神峠に陣を構え、中央の赤峯尾城、甲佐の豊内城
を攻め落とし、翌日には響ケ原へ陣を進めて兵をねぎらう宴を開いていました。
御船城主の甲斐宗運はこの機をとらえ急襲。宴たけなわの相良軍はなすすべなく、多くの兵が討たれ、相良義陽も戦死しました。
後にこの地には供養碑が建てられましたが、12月2日の夜には、馬のひづめや切り合う刀の音に交じって兵士の勇ましい声が聞こえてくると言い伝えられたそうな。
相良神社