2024年04月03日更新
宇城市・美里町の石橋6基が「中山手永における石橋群」として県重要文化財へ
2月8日に行われた熊本県文化財保護審議会で、豊野町の「三由橋」、「山崎橋」、「薩摩渡」と美里町の「馬門橋」、「二俣橋第一橋」、「二俣橋第二橋」が、「中山手永における石橋群 附(つけたり) 石碑2基」として、県重要文化財への指定が答申され、3月22日の県教育委員会で、正式に指定が承認されました。今回の指定を受け、本市の県重要文化財は4件目となります。
手永(てなが)とは、江戸時代に肥後藩 細川家が取り入れていた行政区画。中山手永は現在の宇城市豊野町、下益城郡美里町に位置し、宇土・八代から砥用・矢部、御船へつながる交通の要所でした。中山手永内には縦横に河川が通っており、増水の度に通行ができなくなっていました。そのため、中山手永の惣庄屋(そうじょうや)だった小山喜十郎によって、1828年(文政11年)から1832年(天保3年)にかけて6基の石橋と1基の木製橋が架橋されました。当時造られた7基のうちの6基が今も現地に残る「中山手永の石橋群」は、非常にまれな文化財といえます。
また、「中山手永における石橋群」は、永青文庫所蔵の『町在(御内意之覚)』などの古文書から架橋年代が分かるだけでなく、熊本藩手永による江戸時代末期の交通インフラ整備の概要や高い技術を持った石工が建設に関わったことを知ることができ、当時の橋の使用状況や石工などを記す石碑も含めて、文化財としての価値が極めて高いと評価されました。
宇城市の「三由橋」、「山崎橋」、「薩摩渡」は、文化財保護のため、それぞれ近くに新橋が架設され、車両の通行を禁止しています。
指定文化財の概要(宇城市)
三由橋(みつよせばし)
- 架設:1830年(文政13年)
山崎橋(やまさきばし)
- 架設:1831年(天保2年)
薩摩渡(さつまわたし)
- 架設:1832年(天保3年)に木製橋が架設。その後、石造眼鏡橋に架け替えられたが、架設年などは不明。