2024年02月19日更新
宇城市は、平成17年1月15日、旧宇土郡三角町、不知火町、下益城郡松橋町、小川町、豊野町の5町が合併して誕生しました。
九州の経済大動脈である国道3号と、西は天草、東は宮崎県への結束点という地理的状況に恵まれ、美しい田園風景と不知火海の文化に彩られた自然景観、そして都市的機能を併せ持つバランスの取れた水と緑と心豊かな地域です。
東西約31.2キロメートル、南北13.7キロメートルと東西に長い形状で、面積は188.6平方キロメートル。地目別では宅地8パーセント、田18.2パーセント、畑21.5パーセント、山林30.9パーセント、雑種地4.4パーセント、その他16.6パーセントとなっています。
平成27年国勢調査時の人口は59,756人、15歳以上の労働力人口は全体の過半数を占めています。産業別の就業割合は、第1次産業が16.12パーセント、第2次産業が21.93パーセント、第3次産業が61.4パーセント、分類不能の産業が0.55パーセントとなっています。
市役所の位置
東経130度41分11秒 北緯32度38分42秒
個性輝く5つの地域
三角町
三角町は、熊本県のほぼ中央、宇土半島の西端に位置する総面積48.31平方キロメートルの町です。南北を不知火海、有明海に挟まれ、西に架かる天草五橋(1号橋)と天城橋(新天草1号橋)が天草への玄関となっています。平均気温17度から18度、平均降水量は約1,800ミリメートルと、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた風光明媚な地域です。町は、天然の良港三角東港、世界文化遺産三角西港を中心とする商業、観光地域と、なだらかな丘陵を利用した果樹、ハウス園芸主体の農業地域からなります。
交通は、JR鹿児島本線宇土駅から分岐するJR三角線が北岸の有明海沿岸を走り、町内に三角駅、波多浦駅、石打ダム駅の三つの駅があります。三角駅から宇土駅まで30分、熊本駅まで52分で結んでいます。
このJRに並行して宇土半島北岸には国道57号が、南岸の不知火海沿いには国道266号が走り、共に熊本市まで1時間内外で行くことができます。
不知火町
不知火町は、不知火地区と松合地区からなります。明治22年の町村制施行によって不知火地区は、長崎村、不知火村、高良村の3村が発足。明治32年3月に3村が合併して不知火村となりました。
一方、松合地区は、明治24年4月、永尾、松合、大見の3村が合併して松合村となり、大正5年5月町制を施行して松合町となりました。
その後、昭和29年10月1日に大字伊無田を宇土市に編入、昭和31年9月30日町村合併促進法により、不知火村、松合町の2町村が合併して現在の不知火町となりました。
熊本市の南方20キロメートル、熊本市と八代市のほぼ中間に位置し、宇土半島の基幹部にあります。東は松橋町、北は平野地と山稜を隔てて宇土市と接し、西は宇土半島先端の三角町に接しています。町の地形は全般的に丘陵によって形づくられ、南北に狭長で起伏に富み、僅かに東部に平坦地を有しています。
九州旅客鉄道(JR九州)の鹿児島本線が町の東部を走り(約1.9キロメートル)、不知火町御領に松橋駅があります。また、南は不知火海に面し国道266号が走り、遠く九州山脈の連峰と彷彿とした天草の島々を望み、風光明媚な温暖の地です。
松橋町
松橋町がある宇土半島基部は、干拓以前は広い入り江をなし、格好の港を形成していました。この松橋港を中心として商業が栄え、これらの商業地域に近隣の農村である新町、上の原地域を含んで旧松橋町が形成されました。
昭和29年12月1日、旧松橋町に、東部の当尾村、南東部の豊福村、南部の豊川村の4ヵ町村が合併し、新しい松橋町が誕生しました。
九州旅客鉄道(JR九州)の鹿児島本線が町の西部を走り(約3.9キロメートル)、九州の経済動脈ともいえる国道3号が中央部をそれとほぼ並行して走ります。その国道3号から町の中央で分岐した国道218号が東へ延び、遠くは宮崎県延岡市へ続いています。さらには、天草と熊本市を結ぶ国道266号が町北部を東西に通じています。また、東部の丘陵地帯を九州自動車道が南北に走り、国道218号と交差するところに松橋インターがあります。このように、国道や県道が四通八達し、各種官公庁等の出先機関も集中しています。
なお、熊本、八代両市から約20キロメートル内外の距離にあるため、住宅地としての開発もめざましい町です。
小川町
小川町は、熊本県のほぼ中央に位置し、熊本市まで北へ30キロメートル、八代市まで南へ15キロメートルの距離にあります。
小川町の町域は、東西14.5キロメートル、南北6.9キロメートル、面積41.69平方キロメートルで、町内を南北に走る九州自動車道を境として、東部は九州山地に接する標高400メートルから600メートルの山々に囲まれた中山間地、西部は八代平野の一部をなす平坦地が開けています。
町を東から西へ蛇行する2級河川の砂川には、山間地から谷沿いに小河川が流れ込み、平野部に広がる水田地帯を潤し不知火海に注いでいます。
歴史的には、肥後細川藩の領地から明治4年廃藩置県により熊本県(一時期白川県と称す)管轄となり、明治22年の町村制施行で小川町、河江村、小野部田村、海東村の1町3村として発足しました。
昭和30年4月1日、河江村と小野部田村が合併し益南村となり、さらに昭和33年3月31日、小川町、益南村、海東村の合併によって「小川町」となりました。
九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線が町の中央部を走り(約3.5キロメートル)、小川町川尻に小川駅があります。また、平成26年に宇城氷川スマートインターチェンジが開通し、九州自動車道へのアクセス性や並行する国道3号などの主要幹線道路の交通環境が改善されました。
豊野町
豊野町は、熊本県のほぼ中央部に位置し、三方を40メートルから350メートルの山稜地に囲まれた小盆地を形成する、東西4キロメートル、南北8キロメートル、面積31.54平方キロメートルの中山間農村です。町南東部から標高334メートルの水晶山が突出し、これに続く中央台地が町を東西に二分しています。緑川水系に属する浜戸川と小熊野川がその台地をはさんで合流し、県央の平野部を潤して有明海に注ぎ、町の南端にある砂川は江戸期の干拓平野から不知火海に流れ込んでいます。
また、町内には県下最大の人口溜池である萩尾大溜池・鐙ヶ池をはじめとする41ヶ所の溜池があり、これらは重要な農業用水となっています。
このような土地条件を生かし、水稲やメロンのほか、梨、ぶどう、葉たばこなど、一年中さまざまな農作物が実ります。さらに、奈良時代末期の古碑が残る「浄水寺跡」や石橋群など、歴史的に貴重な文化遺産が多く残り、人と豊かな自然、歴史が共存している町です。
この豊野町は、明治22年に豊野村として発足。村名は、豊田郷と小熊野郷から一字ずつ取ったものでした。その豊野村発足から111年と2カ月が経過した平成12年7月、町制を施行、豊野町となりました。