2024年03月21日更新
猫の墓
水俣湾を見下ろす小高い丘に水俣病センター相思社(そうししゃ)はあります。「患者・家族の拠(よ)り所を作りたい」という当事者の願いからつくられた相思社は、患者や家族の相談対応だけでなく、修学旅行の現地研修など水俣病を伝える活動もされています。
宿泊施設に続く中庭に、枝まで赤く染めた南国の花、サンゴシトウが咲いています。樹下(じゅか)に置かれた小さな石塔(せきとう)には「猫の墓」と刻まれていました。
敷地内に、水俣病の事実をリアルに伝える実物資料館「水俣病歴史考証館」があります。中に入るとコンクリートの床に小屋が置かれています。うさぎ小屋大のそれは猫小屋でした。
掛(か)けられたパネルに「400号はついに発病した 細川一(はじめ)博士の証言」とあります。細川博士はチッソ附属病院の院長。会社の命を受け、熊大研究班の発表したチッソ原因説に反論するために実験を続けます。「廃液(はいえき)をご飯にかけて食べさせる。餌(えさ)をやりにいくと、よくなついていてノドをゴロゴロと鳴らす。その猫の発病を待つ気持ちには、ちょっと耐えがたいものがあった。実験を始めて77日後、ついにナンバー400は水俣病の症状を呈(てい)した」。何匹もの猫を使った実験で、水俣病の原因は工場廃液(はいえき)だと確認した細川医師は会社にそのことを伝えますが、その事実は隠蔽(いんぺい)され、被害は拡大し続けました。そして9年後、細川医師は病床で裁判所の出張尋問に応じました。「会社は知っていた 細川元病院長が証言」(1970年7月5日熊本日日新聞)。この内部証言が「排水に有機水銀が含まれているとは知らなかった」とのチッソの主張を突き崩したのでした。
チッソの工業製品リストには、子どもの頃から使ってきた物がたくさんありました。私も物質的な豊かさを求め続ける社会の一人だったことをぽつんと置かれた猫の墓が教えてくれるようでした。
参考資料「図解水俣病・水俣病歴史考証館展示図録」
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