2024年03月19日更新
二つの出来事
その学校はムラのある、人権教育の発信校でした。赴任した春、PTAの懇親会が開かれました。隣になったお母さんに「どちらですか?」と尋ねると、「XXです」とムラの地区名を言われました。私は知り合いになる機会だと思い、私は部落問題を学びたくて、この学校を希望したことを話しました。それから折につけ、お家にお邪魔しました。
地区懇談会は近隣の地区が一緒になって実施されていました。その年のテーマは「部落問題」。私の担当はお母さんの地区とは別です。後日、お母さんと会ったときに、「先生、この前の地区懇、(ムラは)私一人だったつよ」と言われました。私は、(ムラの保護者が出て行って部落問題を深めないと‥・)と言おうとしました。するとそれを遮るように、彼女は「当事者はね、出にっかつよね」と言われ、私は言葉を飲み込みました。差別はまさにする側の問題でした。
もう一つはPTA役員と学校職員の学習会でのことです。保護者の発言に度々出てくる「同和」という言葉について考えてもらおうと、以前熊本日日新聞に投稿された記事を配りました。単独の「同和」という言葉は差別的な意味合いで使われます。だから「同和問題」、「同和教育」のように認知された言葉しか存在しません。「同和の勉強」「同和学習」という言葉は存在しないのです。記事を読んでそのことを私が話した後、ムラの方が発言しました。彼は私がこの記事を紹介したことに否定的でした。その会が終わり、私はどこがいけなかったのかを尋ねました。彼は記事のある部分を指さしました。それは賤称語(せんしょうご)でした。差別をなくす学習をするのに、賤称語の出てくる新聞記事を使うべきではなかったのです。
差別を受ける側に立って行動しているつもりが、重ならない自分の姿。それを見つめることは、私の大切な学びになりました。退職はしましたが、部落問題に出会って知った、深いものの見方や考え方をこれからも当事者に学び、その思いに近づきたいと考えています。
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