2022年03月27日更新
前編第34回 教科書から『士農工商』が消えた ー前編ー 2021年(令和3年)7月号から続く
江戸時代には「士農工商」という身分制度はありませんでした。私たちは長い間の教育や啓発によって、部落に対する誤った見方や考え方を植え付けられてしまったのです。
でも「士農工商」が、江戸時代の身分制度であったと誤って考えられたのはなぜでしょう。
私たちは、明治維新により江戸時代の身分制度が廃止されたことで「四民平等」になったと教えられてきました。教科書もそのように書かれてきました。そのため、江戸時代の身分制度は「士農工商」だと思い込んでし
まったのです。
これまで部落は「一番下の身分」とされてきました。しかし、「士農工商」という身分制度はなかったのです。武士は確かに支配階級でしたが、「農工商」の間には序列はなく、「士農工商」といえば、今でいう「全国民」という程度の意味でした。だから、「農工商の下に」といったとらえ方は、根本的に間違っていることになります。部落は、「一番下の身分」ではなかったのです。さらに、部落は「貧しかった」ことが強調されてきました。しかし、実際には、田畑の所有者として公認され、非常に大きな石高を持った人もいて、一定の経済力を持っていました。
また江戸時代は封建社会でした。被差別身分の人だけでなく、武士も町人も自由に結婚したり、仕事を選ぶことはできませんでした。結婚や職業選択の自由は被差別身分の人たちだけの問題ではなかった。つまり江戸時代には現在のような結婚差別や就職差別はなかったのです。部落差別は、明治維新の変革の中に持ち込まれた、現代の問題だったのです。
30年近く、教科書は、江戸時代の身分制度をピラミッド型の「士農工商」という図式で記述してきました。そして私たちもそう思い込んできました。しかし近年、部落史研究は進み、教科書も大きく変わりました。長い
間の教育や啓発により植え付けられた部落に対する誤った意識や認識を正し、差別をなくす授業が今学校で取り組まれています。
( 参考文献「きずな・高等学校」県人教編)