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娑婆神峠(さばがみとうげ)の石畳(いしだたみ)[豊野町]

2024年03月06日更新

  娑婆神峠の石畳は豊野町下郷に所在しており、小川町と豊野町をつなぐ峠道のうち、豊野町側の入口部分に敷かれた石畳です。

  天正年間(1573年から1592年)以前は、人馬でさえ越えるのが難しい峠道でしたが、鰐瀬(現在の熊本市城南町)の僧であった立善(りつぜん)が発願し、住民とともに石畳敷きの峠道を整備しました。

  小川町側の石畳は、県道の改修により現在地に移設保存されていますが、豊野町側の石畳は、原位置に敷かれています。

  この峠は、道路であるとともに、位置や険しさなどから、戦国時代には要塞にもなりました。

  天正9年(1582年)12月には、相良氏18代当主の相良義陽(よしひ)が、阿蘇氏を攻めるためにこの峠を越えましたが、その先の響ケ原の地で甲斐宗運の夜襲を受け討死しました。また、西南の役でも薩軍が峠の頂上を防衛線として利用しました。

娑婆神峠(豊野)の写真豊野町にある娑婆神峠の石畳

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宇城市 教育部 文化スポーツ課 文化財世界遺産係

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