2023年04月18日更新
竹崎季長寄進状併置文は、元寇で活躍した竹崎季長の菩提寺である塔福寺に所蔵されていた古文書2通です。
1通は、季長が塔福寺に寄進を行った際の理由、品目等を記した寄進状で、正和3年(1314年)の文書です。もう1通は、一族や子孫に対し将来にわたって遵守すべきことを記した置文で、正応6年(1293年)の文書です。
寄進状と置文からは、季長による領民に対する善政、敬神崇仏の念が厚かったことなどがわかります。
- 沙弥法喜寄進状
正和3年(1314年)1月17日に記された季長自筆文書を写し記したものです。沙弥法喜(季長の法名)が、菩提寺である塔福寺に対し、田地の段別1反あたり3升の米及び段別30文を修造用途として寄進するという内容の文書です。 - 竹崎季長置文
季長が建立した海東神社に対し、正応6年(1293年)1月23日に記され、21年後の正和3年(1314年)に書き改められた置文(社寺の修理や祭事等について定めた事項を記した文書)を写し記したものです。内容は、海東神社に祭りや修理の費用となる田などを寄進するというもので、田地や費用の細かな配分が取り決められています。
最初に記された正応6年の日付に続いては「地頭左兵衛尉藤原季長(花押)」、書き改められた正和3年の日付に続いては季長の法名である「法喜(花押)」が記されています。末尾には、書き改める旨の仮名書きが加えられています。
花押(かおう)・・・・自署の代わりに用いられる記号もしくは符号で、本人自筆のサインのようなもの。