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秋岡氏所蔵文書(あきおかししょぞうもんじょ)

2023年04月17日更新

   松橋町の個人宅に所蔵されている古文書のうち、竹崎季長に関する中世文書8通3巻です。

   そのうち、鎌倉時代に記された「竹崎季長置文((注1)おきぶみ)」2通(写し)、「沙弥法喜寄進状((注2)きしんじょう)」2通(1通は写し、1通は季長自筆)で、元寇で活躍した竹崎季長が記したものとされています。沙弥法喜(しゃみほうき)は、竹崎季長の法名です。また、竹崎季長置文(正応6年・ほうき仮名書改状 正和3年)と沙弥法喜寄進状(正和3年)の2通については、同様の文書が小川町海東の塔福寺(竹崎季長の菩提寺)にも所蔵されています。

竹崎季長正和文書   竹崎季長置文

  季長が建立した海東神社に対し、正応6年(1293年)1月23日に記され、21年後の正和3年(1314年)に書き改められた置文(社寺の修理や祭事等について定めた事項を記した文書)を写し記したものです。内容は、海東神社に祭りや修理の費用の元となる田などを寄進するというもので、田地や費用の細かな配分が取り決められています。

  最初に記された正応6年の日付に続いては「地頭左兵衛尉藤原季長(花押)」、書き改められた正和3年の日付に続いては季長の法名である「法喜(花押)」が記されています。末尾には、書き改める意味を示す仮名書きが加えられています。


竹崎季長正応文書   竹崎季長置文

  正応6年(1293年)1月23日に記された季長自筆文書である海東神社置文を写し記したものです。海東神社に対する寄進の内容から見て、正応6年段階で書かれた本来の置文の写しと考えられています。


竹崎季長正和文書   沙弥法喜寄進状


  正和3年(1314年)1月17日に記された季長自筆文書を写し記したものです。沙弥法喜(季長)の菩提寺である塔福寺に対して、田地について段別(一反あたり)3升の米及び段別30文を修造用途等として寄進するという内容です。


竹崎季長元享文書   沙弥法喜寄進状


  元享4年(1324年)3月4日に記された社寺領寄進状で、季長自筆の可能性が最も高いものです。海東神社及び塔福寺への社寺領や修理料の寄進状であり、この年に行われた海東神社修理のために田地を寄進し、年貢米を出挙(種籾貸付)の元本として、その利息を造営料にあてるように指示したものです。季長が79歳のときに書いた最後の文書で、末尾には「沙弥法喜」と花押(注3)が記されています。

(注1)置文・・・・現在及び将来にわたって守るべき事柄を定め書いた文書。

(注2)寄進状・・・・寺社に財物・所領を寄進する際、その内容目録と寄進理由などを記して添えた文書。

花押(かおう)・・・・自署の代わりに用いられる自筆の記号(サイン)。

竹崎季長置文の画像竹崎季長置文(正応6年)

沙弥法喜寄進状の画像沙弥法喜寄進状(正和3年)

 

 

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