2023年04月17日更新
山崎橋は、豊野町山崎に所在している眼鏡橋で、天保2年(1831年)に中山手永(現在の宇城市豊野町と美里町の一部に相当)の総庄屋であった小山喜十郎の発案で架けられました。石工は、山崎在住の茂左衛門、彦左衛門です。
架橋当時は、駄渡川目鑑橋(うまわたしがわめがねばし)と呼ばれていました。
洪水による水の浮力が石積アーチに影響しないように、水流の大半を低地である右岸へ流したり、鞘石垣(注)を設け橋梁本体の強化を行うなど、洪水対策の工夫が施されています。
また、慶応2年(1866年)に手摺(てすり)が設置されており、その際に架橋事業にあたった人物名と、「車一切通遍加良須」(車いっさい通るべからず)と記された石碑が建立されています。
法量
形状 石造アーチ橋(眼鏡橋)
規模 橋長約26メートル 橋幅約3メートル
径間(けいかん)約13メートル 拱矢(きょうし:基礎から要石の下側までの距離)約4メートル
(注)鞘石垣(さやいしがき)・・・・石垣を支えるために、両岸の橋台部に付けられている裾広がりの石垣のこと。通潤橋や熊本城の石垣にも見られる手法で、壁石を横から支える突っ張り棒の役割を担っています。
山崎橋