2023年04月17日更新
古保山霊運寺跡は松橋町古保山に所在しており、奈良時代末期から平安時代に創建されたと推定される寺院跡です。建立後、江戸時代初期までに2度焼失したと伝わっています。
現在は塔の中心礎石と推定される石材のみが残されており、周辺からは平安時代前期の布目瓦が多数出土しています。中心礎石の大きさや寺領と思われる台地の広さ(50アールから60アール)から、相当な規模を持った寺院であったことが想定されています。
当時は、仏教が政治に多大な影響を与える時代であり、平安時代の初期に塔を持つ程の大規模な寺院が建立されたことは、交通の要衝(ようしょう)であるだけでなく、政治的、経済的に重要な地域であったことが考えられます。付近には、郡衙(役所)に関係する「正久」(しょうきゅう)という地名もあることから、郡衙が経営する郡寺であった可能性も考えられます。
古保山霊運寺跡の礎石