2023年04月14日更新
娑婆神峠の石畳は小川町中小野に所在しており、小川町と豊野町をつなぐ峠道の小川町側の入口部分に敷かれた石畳です。
天正年間(1573年から1592年)以前は、人馬でさえ越えるのが難しい峠道でしたが、鰐瀬(現在の熊本市城南町)の僧であった立善(りつぜん)が発願し、住民とともに石畳敷きの峠道を整備しました。
小川町側の石畳は、県道の改修により現在地に移設保存されており、峠道の途中には当時架橋された石橋も残されています。
この峠は、道路であるとともに、位置や険しさなどから、戦国時代には要塞にもなりました。
天正9年(1581年)12月には、相良氏18代当主の相良義陽(よしひ)が、阿蘇氏を攻めるためにこの峠を越えましたが、その先の響ケ原の地で甲斐宗運の夜襲を受け討死しました。また、西南の役でも薩軍が峠の頂上を防衛線として利用しました。
小川町にある娑婆神峠の石畳