2023年04月17日更新
蕉夢庵跡は不知火町長崎に所在しており、宇土5代藩主細川興文(おきのり)が、隠居に際し安永2年(1773年)に領内の桂原に建てた草庵です。
興文は、隠居する前から蕉夢庵の建設を計画しており、明和7年(1770年)には自ら構想を元に設計を行いました。月翁(げつおう)と称した隠居後に工事が開始され、柱から梁、細工の一つ一つに至るまでこだわりや意向が反映された庵が完成しました。
この草庵は、後背の山麓に芭蕉が茂り、鹿が姿を現すことから、列子の「蕉鹿夢」になぞらえて「蕉夢庵」と名付けられました。
月翁は、背後に深山をひかえ、渓流に臨んだ仙境(せんきょう)の地として桂原の地をこよなく愛し、花鳥風月を愛で、詩を詠み、茶を喫して余生を過ごしました。
また、月翁は庵を取り巻く近景・遠景から、九ケ所の景勝地・十五の景観を選んで、それぞれ九勝、十五景としました。九勝の土地には、月翁が自ら書した風景を表す漢字三文字が刻まれた巨石がそれぞれ配置されています。
現在、老朽化と台風被害により蕉夢庵は解体されており、跡地には基礎が残されています。
解体される前の蕉夢庵