2023年04月17日更新
豊福長傳寺跡は松橋町豊福に所在しており、室町時代に創建された寺院跡です。
現在は中世寺院としての遺構は残っておらず、江戸時代後期以降に建てられた堂に阿弥陀如来が祭られています。
敷地内には、戦国時代末期に近隣の豊福城を治めていた相良藩当主16代相良義慈(よししげ)、17代相良晴廣(はるひろ)、18代相良義陽(よしひ)の法名及び天文20年から24年(1551年から1555年)の銘が刻まれた供養碑(五輪塔(注1)・宝篋印塔(注2))が5基残されています。
豊福城は、短期間で城主が交代する激戦地であったため、長傳寺建立者などの詳細は不明ですが、相良氏の供養碑が存在することから、城主の祈祷寺院であった可能性が考えられます。
(注1)五輪塔(ごりんとう)・・・・供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種で、平安時代以降多く作られています。地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。
(注2)宝篋印塔(ほうきょういんとう)・・・・供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種で、平安時代以降多く作られています。上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」「基壇」で構成されています。
豊福長傳寺跡にある堂