2022年03月27日更新
第19回 ミナマタに出会った子どもたち 2020年(令和2年)4月号
「先生っ!」と声を掛けられ、顔を向けると面影の残る懐かしい笑顔。ウイングまつばせの成人式でのことです。赤い振袖のよく似合うお嬢さんに成長したMさんは式の実行委員でした。
清水が流れる棚田での田植え、干潟へ出掛けての穴ジャク釣り。小規模校ゆえの利点を生かし、一緒に楽しんだのがつい先日のよう。
「水俣に学ぶ肥後っ子教室」で、当時5年生だったMさんたちと、水俣病患者で語り部の杉本雄(たけし)さん( 故人) の話を聞いたのを思い出します。
水俣。エメラルドグリーンの澄んだ海水を引き込む静かな
港、茂道(もどう)。たくさんの患者が発生したその漁村に雄さんの自宅がありました。坂道を上り、玄関を開けると、奥から「どうぞ」の声。居間の机を囲んで、雄さんと子どもたちが座ります。雄さんは朝早い漁の後にも関わらず、人権を守るためには何を大切にしなくてはいけないのかを語ってくれました。
ご自身が発症される前、道で患者さんに出会うと、感染を恐れて口を押さえ走って通り過ぎ、自分も差別していたこと。それは「本当のことを知らんだったけんなあ」と話されます。 最後に「自分は水俣病に出会ったから、人権について深く考えることができるようになった」と付け加えられました。差別と闘い、人権を守るために生きてきた自分を大切にされている言葉でした。
「私は埋め立て地の海岸で、海に手を入れました。海水は冷たく、きれいでした。海の中が透き通っていたから、水俣の海はいい海だなあと思いました。私は何でも人と同じようにすればいいじゃんと思っていたけど、真実を見きわめて、本当のことを自分から言える人になりたいです」。Mさんの文章です。
4月から熊本を離れ、関東の病院に就職するMさん。自分で確かめ、考え、人を大切にするすてきな看護師になれそう。また成長した姿を見るのを楽しみにしています。
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