「三角西港 歴史・文化財指定」詳細ページ

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2016年2月4日

  

1.三角西港 全景

  三角西港は、背後の山を削り海を埋め立てて新たに築造された、明治期の最先端の港湾都市です。

  明治17(1884)年に着工、明治20(1887)年8月15日に開港しました。

  熊本県の貿易港として九州一円にその名を知られた港と、新たに造られた都市部があり、どちらも当時の最新の技術を用いて造られました。現在も明治期の港湾都市がほぼ完全に残っています。

 当時の新聞によると、沖合に18隻の蒸気船が停泊し開港を祝い、埠頭沿いは夜になっても提灯の明かりが消えることなく祝賀行事が続いたとあります。

三角西港 全景

 

2.三角西港の歴史

1.三角西港の築港の歴史

 熊本県は良港に恵まれず、明治になってもその中心港は、熊本市の坪井川河口にあたる百貫石港(現在の熊本港付近)でした。明治13(1880)年、熊本県議会議員白木為直は、熊本県における貿易港の必要性を建議し、これを受けて当時の県令富岡敬明は、政府から派遣されたオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに調査を命じました。ムルドルは丹念な調査を行った結果、百貫石港は遠浅で修築には不適であるとの見解を示した上で、宇土半島の先端に位置する三角の地は水深深く、潮流穏やかな天然の良港であり大型船舶も入港可能であり、熊本県の国内外の貿易港として最適であると進言しました。
 明治17(1884)年3月、熊本と三角を結ぶ道路工事が着工され、同年5月からは港湾の工事も始まりました。

 三角西港の特筆すべき点は、山を削り海面を埋め立て、近代的な港湾都市を建設したことです。
 ムルドルの設計によれば、曲線を多用し、水路幅・道路幅ともに当時の日本の基準をはるかに超えたスケールで描かれました。この設計を忠実に施工したのが、長崎市の大浦天主堂、グラバー邸等を手掛けた小山秀(こやまひいで)率いる天草石工たちでした。彼らは、切り出した石材を丹念に仕上げ、当時の日本では見られない曲線を多用した加工で施工を行いました。天草石工たちが設計図を基に、西欧技術を巧みに取り入れ、日本の伝統技術を遺憾なく発揮したことが伺えます。

 工事着工から三年後の明治20(1887)年8月に三角西港は開港しました。
 埠頭沿いには倉庫が立ち並び、埋立地には洋風、和風の建物が整然と建ち並びました。明治22(1889)年には国の特別輸出港に指定され、米、麦、麦粉、石炭、硫黄などが中国の上海等へ輸出され、熊本県はもとより九州の一大集散地となりました。特に石炭については、長崎県口之津港の補助港として、三池炭鉱の石炭を中国の上海へ輸出しています。当時の石炭輸出は、三池炭鉱からいったん貯炭場へ仮置きし、それを沖合に泊めてある大型船に積み込んで、三角税関の許可を得て、さらに口之津港の税関の許可を得て上海に輸出していた。
 その後、宇土郡警察署、三角簡易裁判所、宇土郡役所が開庁し、貿易、行政、司法を備えた都市として発展していきました。

 しかし、静穏なはずの港の潮流や風が思いのほか早く、船がうまく着岸できないことが多かったため、港として使いにくいようでした。さらに明治32(1899)年、九州鉄道が現在の三角東港で終点となると、三角西港までは延伸されず、次第に国の重要港としての役割は東港へ移転して行き、三角西港は次第に使われなくなっていきました。しかしながら、そのおかげで明治期の石積み埠頭を始め、当時の施設がほぼ原形のままで残されることとなりました。また、三角築港百周年記念となる昭和58(1983)年ごろからその存在意義が見直され、開港時の建造物復元や一帯の整備が行われ、現在に至っています。明治期の港が完全に現存するのは、日本でここだけです。

  

3.三角西港を構成する主な建造物を紹介します。

  日本で唯一残る明治期の港湾都市である三角西港には、歴史的建造物が多く残されています。

 明治期の港湾都市が当時のまま現存するのは日本で三角西港だけであり、貴重な文化財として以下の

指定を受けています。

・国重要文化財:「三角旧港(三角西港施設)」(埠頭、排水路3所、道路橋(石橋)4基、後方水路)

・国重要文化的景観:「三角浦の文化的景観」(三角西港を含む周辺区域)

・国登録有形文化財:旧三角海運倉庫、龍驤館、旧宇土郡役所、旧三角簡易裁判所

・宇城市指定文化財:旧高田回漕店

 

文化財指定状況

 

埠頭 (国重要文化財)

埠頭 明治20(1887)年に完成。延長756m。岸壁部分は16段の切石によるから積みであり、天端には、3尺×3尺、厚さ1.5尺の1畳石といわれる大石を交互に並べ、さらに石材の自重により安定させています。開港時は埠頭岸壁に3か所の木製浮桟橋が設置されていましたが、現在は残っていません。

 

西端排水路(国重要文化財)

西端排水路2 明治18(1885)年の三角西(旧)港第1期工事にて完成。延長約50m。埠頭の切石積みとは違い、日本の伝統的な工法の布積みで仕上げられ、底部は乱張の石がほぼ水平に敷かれています。上部の地面に向かう部分は傾斜した石垣が続き、地面上の手すりは切り石の2段積みであり、最上部は石材の角を落とした処理を行っています。

 

西排水路(国重要文化財)

西排水路 西排水路西側護岸は明治18(1885)年の三角西(旧)港第1期工事にて完成。底盤及び東側護岸は明治20(1887)年開港時に完成しました。延長約133m。背後の丘陵部から岸壁までほぼ南北方向に流れ、下流側に向けてわずかに末広がりの平面形状をとり、布積の両側壁にたるみをもたせた三面石張造りです。

 

 

東排水路(国重要文化財)

東排水路 東側護岸は明治20(1887)年開港時に完成。延長約154m。この排水路の山側終点部分には、旧宇土郡役所、旧三角簡易裁判所へ通ずる石造りの階段に沿って、山からの排水を目的とした排水路があり、この東排水路につなげられています。

 西排水路同様、岸壁までほぼ南北方向に流れ、下流側に向けてわずかに末広がりの平面形状をとり、布積の両側壁にたるみをもたせた三面石張造りです。

後方水路(国重要文化財)

後方水路 市街地の背後の山すそに沿って設置された延長813mにおよぶ石造りの排水路。底面から手摺までの高さが平均2.2m、底辺の幅が平均1m、上部の幅が平均1.9mで随所に排水口を設けています。

 反り返るように石を積み、線形は地形を考慮して直線ではなく曲線を描くようにし、中間部で2本の排水路につなげるなど、山や市街地からの水や土砂を効率的に海へ流す工夫がみられます。

 

道路橋(石橋)4基(左から一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、中ノ橋)(国重要文化財)

nisi二ノ橋


三ノ橋中ノ橋


 明治18年(一ノ橋)、明治20年(二ノ橋、三ノ橋、中ノ橋)に架設された石造りの道路橋。道路幅は築港当時から約11mもあります。一ノ橋、二ノ橋、中ノ橋は現在も国道57号線上の橋として、また三ノ橋は熊本県の道路上の橋として供用されている現役の道路橋です。

旧三角海運倉庫(国登録有形文化財)

旧三角海運倉庫 明治20年に建てられた土蔵造りの荷揚げ倉庫。三角西港には埠頭沿いにこのような倉庫が数多く立ち並んでいました。昭和63年に復原を行い、歴史資料を展示する施設として整備。その後、平成11年に厨房施設を併設し、レストランとして現在に至っています。

 

 

旧高田回漕店(市指定文化財)

旧高田回漕店

 高田回漕店は熊本市に本店を持ち、三角西港開港と同時にこの地に進出しました。

 4隻の汽船(正義丸、播磨丸、明淳丸、筑後丸)を所有し、内外の荷物を扱う運送会社であり、商社でした。1階は海運業事務所、2階は旅館として使用されました。特に2階の6室はすべての部屋が床の間を持ち、独立して使うことができました。平成10年に復原を行い現在に至っています。

 

旧宇土郡役所(国登録有形文化財)

旧宇土郡役所 明治33年に宇土郡役所が宇土町(現在の熊本県宇土市)から三角西港へ移されました。その後明治35年に現在地に移転新築されました。木造平屋建ての漆喰仕上げで、漆喰により石造りのように仕上げられ、また半円形アーチのついた縦長の窓は上下に開閉するなど、日本人大工の洋風建築技術の修得を示す顕著な例です。宇土郡役所と同時に造られた門柱・石垣も現存しており、これらも国登録有形文化財に指定されています。

龍驤館(りゅうじょうかん)(国登録有形文化財)

龍驤館 明治天皇即位50年記念を祝すため計画されましたが、明治天皇崩御のため計画を変更し、明治天皇の頌徳を記念する館として大正7年に完成しました。

 明治天皇の御遺徳をしのび、併せて教育参考品、物産の陳列をして教育勧業の振興を図ることを目的とし、また公会堂として各種会合に利用されました。

 龍驤館の由来は、明治5年に明治天皇がお召艦「龍驤」(肥後藩献上の軍艦)で、三角港湾内に仮伯されたことにちなみ名づけられました。なお、この時、明治天皇とともに、西郷隆盛、東郷平八郎も同行しています。昭和62年に復原を行い、平成26年8月より三角西港の歴史および世界遺産のガイダンス施設として利用されています。

旧三角簡易裁判所本館、弁護士等控室、記録倉庫(いずれも国登録有形文化財)

旧三角海運倉庫弁護士等控室記録倉庫

 

 

 

 

 

明治23年に東排水路の後背地寄りの市街地に開庁し、その後大正9年に現在の場所に移転新築しました。管轄区域は、宇土郡全域、下益城郡2ケ村、天草郡内5村でした。平成4年まで現役の裁判所として使用され、現在は「法の館」として、司法の仕組みを理解する施設として活用されています。本館正面左側には、当時の法廷がそのまま残されています。  

三角浦の文化的景観 (平成27年1月 国重要文化的景観選定) 

 「三角浦の文化的景観」は、八代海と有明海を結ぶ三角ノ瀬戸と呼ばれる海峡を通して、古来より流通・往来が連綿と続き、人々の生活が地形を基盤に発展してきた風光明媚な場所です。

 今回、国重要文化的景観に選定された範囲は、この三角ノ瀬戸の地勢を活かし築港され、世界文化遺産に登録された三角西港と背後地および海域の一部を含んだ107.1haです。 中世より風光明媚な場所として知られ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、五足の靴(与謝野鉄幹、木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇)など多くの人々が訪れ、見物、観光・保養地として賑わいました。

                     三角ノ瀬戸 全景

三角ノ瀬戸全景

 


追加情報

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お問い合わせ

宇城市 教育部 文化課 文化財世界遺産係
電話番号:0964-32-1111この記事に関するお問い合わせ






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